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2005年02月23日
ほりえもんを超えて
ほりえもんには頑張って欲しいと書いたが、経緯を見ていると気に入らない点多しなので撤回します。ただ今回の件で改めて分かったことがいくつかあるし、彼を超えないとインターネット放送の実現はないということも痛感した。
・ 政治家やマスコミがほりえもんを叩く理由として、ジャーナリズムの公明正大中立さというのが出ていた。希少性が高い電波資源だから公共性うんぬんという議論ならまだ分からんでもないが(それでもVHF/UHFとも使っていないチャンネルは多数ある)、タブロイド紙がジャーナリズムの公明正大中立さを守るためみたいな論調で彼を叩くのは可笑しいを越えて哀れでもある。公明正大中立であるのなら、検証可能な事実のみを伝えるようにならなければならない。報道で使われる責任回避的常套句である、「...と言われている」や「...という見方がある」といった表現を伴う内容は全て放送・報道禁止とすべきだし、社説論説はもってのほかだ。
なぜ言論の自由競争という視点にならないのだろう?もちろん、個人への誹謗中傷など、一度出てしまうと容易に撤回できずに大きなダメージを与えるものもあるため、一定のルール作りは必要だ。しかし、なぜいまだにマスコミ人は「私は正しいことを述べて迷える大衆を導ける、そうでなければマスコミではない」みたいな思想なんだろうか?マスコミ人ってそんなに難しい試験・試練を通った選ばれし人たちなんだっけ?
・ ブログで公開された膨大かつ深い状況分析に比べて、マスコミ報道の薄さが目立った。今回は主題がマネーゲームということで公開情報が限定されており、あとは限られた情報からの分析・読みの勝負になるので、デモジャーナリズムにとっては得意とする分野であったことが要因だろう。地震報道のときもそうだし、デモジャーナリズムが得意とする事象例がまた一つ増えた。
・ ほりえもんのいう「放送と通信の融合を目指す」という建前について、ネットの上での議論はせいぜい「TV業界のプロが作ったコンテンツがネットに流れればインターネットが活気づくよね」というレベルを超えるものが無かったと思う。「放送と通信の融合」が実現したところで、今のTV秩序を超えられるビジネスの話題はなかった。
現時点では、インターネットはコンテンツにとってもう一つのウィンドウ以上の価値は無い(価値のあるウィンドウであるかというのは別の議論)。「放送と通信の融合」が実現するのであればそれは既存の放送秩序が自己崩壊することが原因になるのだろうという感を強くした。その意味では、ビジョンは無くてもとりあえず現在の秩序を壊そうとしているほりえもんのやり方は「放送と通信の融合の実現」という観点からは正しいのかも知れない。それなら融合しなくたっていいじゃんという議論は当然あるが、上で述べたような理由もあって、ある意味時代の必然になりつつあるのかなと思う。
投稿者 hyotan : 2005年02月23日 22:10