2005年10月23日

Video iPod

当然Video iPodの話は書かねばと思っていたが、発表だけでは当たり前のこと以上の話が思いつかなかった(既存の放送ビジネスへの影響などはこちらの議論など参照)。まあ、Podcastingの認知度も急速に上がっているし、インターネット放送が確実にTV放送を脅かしつつあることを確認できるのは、こういうblogを続けている者としては嬉しいことだ。

ところが、一昨日、同僚がVideo iPodを買って見せびらかしに来た。実は、Video iPod の正式リリースを聞いたとき、iTMSによる配信は長期的には大きな映像配信はインパクトがあるが、2.5inchの液晶ではまあたいして普及はしない当初は話題だけのものになるかなと思っていた。

ところが、このVideo iPod 実物を手にしたら考えがまったく変わった。iPod nanoを大きくしたような、とても質感がある筐体。サイズは片手で持ってみるのにちょうどいい。普及戦略としても、当初は見せびらかしのために携帯端末にして認知度を上げ、画像が小さければ、映像ネット配信に抵抗のある事業者でも説得しやすい。そして普及するに連れて、iPodが据え置きになり高画質になって家庭の中に入ってくる、というシナリオが考えられるだろう。3年後くらいには、DVDプレーヤーのようなiPodプレーヤーが家庭のAVラックの中に入り始めるかも知れない。

今までの携帯映像プレーヤはどうも安っぽく、常に持ち歩いたり、人に見せびらかすにはイマイチ感があった。でも、このiPodはそれらとは一線を画している。普及にはこういう端末自身の力も必要で、今度こそ携帯映像端末は市民権を得られるようになるかも知れない。今後徐々に画面サイズが大きくなり薄くて軽くなり、価格が下がっていくに従って、普及していくのではないだろうか。日本のメーカーは全くうかうかして居られない。

投稿者 hyotan : 12:10 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月28日

mF247とアメリカの新通信法案

ここ2週間、面白いネタがいくつかあったのだが、書く時間が取れなかった。いずれも業界では有名な話なので既に良く知られていると思うけれど、今後のwatchが必要な話であるので備忘録代わりに。

新しい音楽ビジネスを目指すmF247。とはいえ、技術的、ビジネス的にすごい新奇性があるわけではないのだが、重要なのはこういうことを音楽業界の重鎮である丸山茂雄氏(元Sony Music社長)がやるということ。「その音楽を気に入った人にとって楽曲は『作品』だが、気に入らなければ単なる情報として忘れられてしまう」という話に私自身すごく共感するものがある。今年12月にサービス開始とのこと。

もう一つは、最新のアメリカの放送・通信業界ネタを分かりやすく記事にしている小池良次氏の米国情報通信ブログより、2005.8.17 次世代を目指す米国新通信法で米国は大騒ぎの記事。まだ審議前の法案の段階なので詳細は今後決まるが、ブロードバンド化でアジア・ヨーロッパに大幅に遅れをとっている(とIT業界の米国人の多くは感じているようだ)中で、この分野での競争優位をいかに取り戻すかが大きな課題になっている。この法案が通れば、放送をインターネット網を利用して流す経済的合理性がさらに見えやすくなるだろう。

今日のネタ2つは、最新の概念が入ったトピックではないにしろ、大きな地殻変動が起こっていることを感じさせるもので、今後の進展を期待を込めて見ていきたいと思う。

投稿者 hyotan : 17:31 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月13日

podcastingとサーチ

最近Podcastを聴く機会が非常に増えた。通勤時間の半分以上はPodcastを聴いている。副産物として車内で雑誌・本を読まなくなったおかげで目も疲れにくくなった(笑)。個人的にiTunesのディレクトリが探しやすく、よいものが見つかり易いと感じる。米国のテクノロジー関係の番組を聴くことが多いが、単にblogを読むよりもvividなところがあって、情報を直感的に選択がしやすい。やはり文字というのはフラットに見えてしまうので、何が重要で何が重要でないかを直感的に判別するには、文字よりも音声、音声だけよりも映像があったほうがやりやすい。

それでも今のところ、(聴くに値する)番組数はまだ多くない。しかし今後、増えてきたときに、番組の評価をしたり、セレクションをしたりといった目利き機能が必要になるのは明らかだ。
そんななか、まだベータで今ひとつ動作がよくないがおもしろいサイトを紹介。(this WEEK in TechというPodcastで知った)Podscope。このサイトでは、音声認識をして、キーワード抽出をすることで、文字によってPodcastを検索することができる。試してみたが、まだたいした検索結果はでてこない。しかし、発想がおもしろいと思った。

音声認識自体は新しくないが、どうしても音声->文字に変換するときの精度の問題がある。特に、しゃべり方のクセをつかんだ音声ではなく、バックグラウンドに音楽なども含んだ、任意のしゃべり方の音声を文字に変換することは相当難しい。でも、キーワード抽出であれば限定された音声認識を使えばいいわけで、精度は上げ易いであろう。それに、全文を文字にして利用するとまた著作権の問題などが出てきそうだが、キーワードのみを抽出して検索可能にするのであれば問題なさそうだ。

日本ではどうしてもビデオのオンデマンド配信の話が先行してしまうが、世界的にはまずはPodcastで音声の様々なサービス・ビジネスが試みられ、オンデマンド配信ビジネスが成熟していくのだろうとにらんでいる。

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2005年07月27日

放送と通信の融合の別の側面

新聞の衰退が確実となった中(世界各国で部数と広告収入が減り続けている)、次はTVなのは明らかだ。ところで、音楽業界は一時の大幅な落ち込みから少し回復の兆しがあるようだ。オンライン配信に舵取りを切ったところが要因としてあるようで、やはり時代の流れに逆らうのではなく、うまく適応していくしかないという当たり前のことが示されている。TV業界に関しても、ここ1ヶ月、民放TV局のネット配信話であるとか、また2011年にアナログ波停波見込みがまずくなったため地上波デジタルをIPを利用して再送信する話も政府から出てきた。このあたりは時代の流れの必然であって、もはやコメントに値するものではなさそうだ。民放キー局のインターネット再送信によるフランチャイズ侵害の懸念など、ほとんど笑い話である。

ここまではよいとして、放送と通信の融合とは、ネットを使ったオンデマンド配信以上に何があるのかということを、仕事上の要請から最近具体的に考えている。いくつかありそうだが、一つ漠然とながら思い巡らせていることに、編集されない映像というものが今まで以上に重要視され、流通していくようになるのではないかというものがある。放送というのは編集した映像を流すものだが、通信の場合は基本的に編集はされない。ここの境界も今後ぼやけると考え始めている。

こう考える理由は次の通りだ。ジャーナリズムに関して、なんだかよくわからないがエスタブリッシュされた報道機関が報道しているから正しんだろうといった素朴な信頼感が意味を持たなくなっている。これは既存権威の相対化であるし、blogのような市民ジャーナリズムの隆盛でもある。ここで、客観的に報道の正しさを示すものが必要になってくるが、その手っ取り早い手段の一つが未編集映像の公開なのではないかと思う。現在のTVニュースでは、数時間にわたって取材された映像がたった数十秒しか使われないといったことも珍しくない。その結果、編集が映像に意味を持たせるようになり、Sound biteのように要人の発言の一部だけを切り出して前後の文脈を無視して報道し、それが一人歩きするといったことも起こっている。

もちろん、編集がなくなるわけではない。すべてが未編集映像では退屈で視聴に時間がかかるばかりだ。簡単なのは、TVやvodcastで編集済映像を流し、必要に応じてOn demandでその根拠映像を見れるようにするといった配布方法だろう。

投稿者 hyotan : 10:58 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月15日

テロ報道に関連して

先日のロンドンのテロに関して。捜査が進んでいるようだが、その大きな手がかりは各駅などに設置された監視カメラの映像のようだ。テロの捜査に有効なことが改めて示されたわけで、今後大都市の人が集まるところには次々とカメラが設置されていくだろう。あまりいい話ではないが、インターネットライブカメラの力が発揮される時代になってきたようだ。

もう一つ、テロに関連して、大都市の大量輸送というもののリスクが改めてクローズアップされている。一昨年のSARS騒ぎも記憶に新しいし、東京の場合は地震のリスクが常にある。それでも人々が都市に集まるのは、人が高密度に集まることによって、お互い刺激しあって創発されることが非常に多いためだ。これをインターネットの上で再現することができないものかと最近考えている。オンラインゲームとかアバターといったものが鍵になると睨んでいる。

どうもアバターというものは日本では受け入れられていないが、例えばmixiの自分を表す写真だって本来は立派なアバターだ。それを意識して使っていない人が大多数だけど。例えばあまりプロっぽく見えない女優の写真を掲載している女性にはそういうイメージがつくようで、本人ではないですよ、とわざわざ断り書きがなされているのに、その写真のイメージで話してくるらしい(試した友人談)。

あまり自信はないが、韓国でアバターが人気なのと日本人と比べて美容整形に抵抗がないのには文化的に関連性があるのではないかと思っている。仮想の(美化された)自分を演出することに違和感がないといった。このあたりの文化的違和感が無くなれば、日本でもアバターが徐々に普及していくのではないかと考えている。今までは匿名性に隠れてきたが、それだけではコミュニケーションに一定の限界があることが2chという場ではっきりしたので、今はSNSというアバター(プロフィールや日記を含めた仮想自分構築)に隠れるスタイルへと徐々に移ってきていると考えている。

投稿者 hyotan : 10:14 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月11日

SNSとblogについて

最近、特に日本人にとってはblogよりもSNSのほうが個人の情報交換手段としてはあっているのではないかと思うようになってきた。blogは自分で主張することによって自分を定義していくのに対して、SNSは他者との関係性において自分が定義されていくため、オンラインにおけるアイデンティティを確立することが自然にできる。

業界ニュースなどをまとめるようなもの以外は、blogを毎日のように更新し続けるということは、その人が蓄積するよりも速いペースで吐き出しながら書いているに違いない。そのため、数ヶ月もすれば新しい視点やビジョンはなくなり、だんだんマンネリ化してくる。このトピックにはたぶんこう書くだろうなというのが見えてきてしまう。そして、書き手も書いている記事のみで自らの定義をせざるを得ないから、どうしても幅が狭まる。

それに対して、SNSの場合、交わされる会話・情報密度はblogに比べたら圧倒的に薄い。ある種の馴れ合いの世界ともいえなくもない。しかし、文字の向こうにいる人間にフォーカスが当たるつくりになっているので、あるトピックについて話をしていたとしても、この人はほかにこういう趣味嗜好があるんだなと想像して話ができる。その結果、人間的な把握になるので、話に広がりができやすいし、リアルで飲みに行ってみたりする気にもなる。

blogだと記事そのものに興味があるかないかで読むかどうか決まるが、SNSの場合、その人間への興味でアクセスするかしないかが決まるという点が大きいのではないかと思う。そう考えると、プロやセミプロおよびそれを目指す人たちの言論ツールとしてのblogは残るだろうが、より多くの人が使うツールとしては、匿名・署名掲示板そしてMLとSNSに収束していくのではないかと予想している。

blogの映像版は個人放送と結びつきやすいが、SNSの映像版はコミュニケーションになるだろうか?最近アバターまたはゲームのような3次元バーチャルリアリティーによる表現というのが有望なのではないかと思っている。これによってより密度の濃い場が作れるのではないかと想像しているが、細かいところはまたの機会に述べたい。

投稿者 hyotan : 22:25 | コメント (0) | トラックバック