2006年02月25日

トラフィック急増?

インターネットで映像が本格的に流されるようになってきて、ネットワーク事業者の負荷がかかってきているようだ。最近NTT-Com社長によるGyao批判があったし、アメリカでもネットワーク事業者とコンテンツ事業者のさや当て(こんなのこんなの)などかまびすしい。まあ、インターネット崩壊論自身は数年に一度くらいのペースで現れる定期行事みたいなものだが(97年頃のメトカーフの崩壊説)。

97年頃、インターネットで映像を送る研究をしていたときに、QoSとはお金をたくさん払った人が良いサービスを受けられるという経済問題に帰着できると納得した。そして、映像トラフィックを優先して流すようなしかけをいれて複雑にするのと、単純な帯域をジャブジャブにしてビット単価を下げるのとどちらが効果的かということを考えた結果、少なくとも当時はsimplicity is the internetという結果になった。

まあ、bitをいかに安く運ぶか以上に付加価値のつけられない回線事業者が、何とか理由を付けて単価を上げようとしているポジショントークに対してあんまりとやかく言うのも意味がないが、その暇があれば回線投資でもしてほしい。使い道があってこそのネットワーク、事業者がブレーキをかけては本末転倒だ。

投稿者 hyotan : 19:36 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月14日

映像の果たす役割

梅田望夫がブロガーと語る「ウェブ進化論」ポッドキャスティングを聞いた。そもそもまだ本そのものを読んでいないので、それ自体へのコメントはできないが、これこれを読んで思うことがあるのでまとめておきます。

一年くらい前にこんなのこんなのを書いてみたが、改めて読み返してみても、まだ自分の思考はここから外れていない。元ネタを伝搬し深化させる繰り返しが発生するプロセスを考えると、既存の(いわゆるプロの)マスメディアに比べて、このプロセスの中でインターネットが弱い所は2つあって、ネット外から元ネタをもってくる部分と、深化した結果を人々の心に訴えかけてプレゼンをする部分なのではないかと感じている。

元ネタを収集するところは、取材のプロとして専門に手間暇をかけてやる人か、ある領域のプロ自身が職務秘密に触れない範囲で書くことで上がってくるのだろう。後者はブログなどで顕著に見られるが、なかなか肝心なところがかけなかったりそもそも書く情熱がある人がそんなにいなかったりする。やはりある程度前者に頼らざるを得なければならないのだが、どのようにその人たちを食わせるかということが問題だ。

人々の心に訴えてプレゼンというのは、要は衝撃的な写真や映像で訴えるということで、ブログの文章で9.11に関する悲しい物語をいくら読んだとしても、あのツインタワーが崩れる瞬間の映像を見たときの鳥肌の立つ感覚には残念ながら及ばないことからも、文章のみによる限界というのは明らかだ。

そしてこの2点は映像の力が最も発揮できる部分ではないか。逆に言うと、映像は「事実を切り取るメディア」と「説得するメディア」としてネット情報流通世界に今後組み込まれていくのだと考えている。

説得するメディアという言葉は、実はPersuasive Technologyという言葉から取っている。私自身、企業内の日常において、情報技術はこのPersuasionに使われている時間が大半なのではないかと観測している。IT技術の本質はここにあると考えている。

説得するメディアとしてまだ足りないのは質感だろう。これは、機械的には映像の解像度やグラフィックス演算能力だし、表示デバイスの性能やユーザビリティーにも深く関わる。もちろんコンテンツの内容もまだまだ質感が悪いが、こちらは環境が整うにつれて優れた人が集まってくることでのみ解決できると考えている。質感は感性の問題なので議論が難しいが、単純に言って2chがインターネットコンテンツのメインストリームとして認知されている間は、いい質感になったとはいえないし、既存のマスメディアを乗り越えることはできないと考えている。

このように考えていくと、よい感性の人が集まるためにはどうすればいいか、つまりどうすればビジネスになって人があつまるかが鍵になるのだけど、そこは私自身のメシのネタだし、正直分かっていれば苦労はしない。

ただ、情報を集める入口と出口の機能でビジネスとして成立できるようなものができれば、情報系全体としてよりよく回っていくようになるのではないか。最近のmixiの試みのように、入口部分はマスメディアをネタ提供元として使うというのもありだと思うが、もう少し何かできるのではないかとぼんやり考えている。

投稿者 hyotan : 23:29 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月24日

映像体験の質感

私事だが、年末にTVを買い換え、自宅で地デジ放送が見られるようになった。まあ、仕事柄今までも外ではさんざ見ていたが、やはり自宅でリラックスしてみるとまた印象が違う。同じTVでDVDをみるとさすがに辛く感じる。早くHD対応のDVDが普及して欲しい。

以前、比較的金持ちなアメリカ人と飲んでHDTVの話になったときに「あれは高級ワインと同じで、必要ないと思うけど飲み慣れるともう安いワインには戻れない」というセレブなコメントがあった。その辺は実感としてよく分からないものの、SDをみると、コシヒカリを食べ慣れたあとに古米を食べたくらいの違いを感じる。

それにしても、デジタルになった結果、テレビの電源入れてから映像が出るまでの時間、チャンネル切り替えにかかる時間に相当ストレスを感じる。中のOSやらデコーダーやらの理屈は分かっているんだが、あのアナログのさくさく動く感じは視聴体験にとってとても重要だったことが改めて分かった。インターネット放送の体験というか質感の悪さの一つは、ザッピングしようとしたときのバッファリング時間も大きいのではないだろうか。

質感といえば、今のインターネットに決定的に足りないのは質感だと常々思っている。2chに象徴されるテキストのコミュニケーションは中身も見た目も非常に質感が悪い。ジャンクメディアという評価はよく分かる。ジャンクであるからつき合うために緊張感がいらないため人が集まりやすいという議論に個人的には賛成だ。CGM (Consumer Generated Media) なるものが注目されているが、マスメディアではカバーできない深いコンテンツが提供されるというポジティブな面は大きいが、ジャンクであるがために人々に消費されやすいという面もあるのではないだろうか?

コンテンツにおいて悪貨は良貨を駆逐されてしまうのだろうか?まあ、現状の小さな画面、テレビに比べて低い画質(解像度、フレームレートだけでなく、表示デバイスの特性なども含んだトータルな視聴体験画質)を考えると、質感がよいコンテンツの良さは今の状態では全然出てこないだろう。この辺りは技術の進歩によって改善されるものだが、それに伴ってコンテンツも質感が伴ってくると希望を持って予想している。それまでは、質感のある映像はテレビに頼らざるを得ないのだろうか。

投稿者 hyotan : 23:47 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月02日

次のターゲットは?

2005年は日本のインターネット放送にとって大きな節目になったと思う。ホリエモン・楽天の件は、インターネット放送にとって絶大な宣伝効果があった。Podcastingという言葉も市民権を得た。Yahoo, Gyaoのサービスもまだ成功しているとは言い難いものの、それなりのボリューム感(メジャー感)を持って進められている。05年末の紅白でも、松任谷由実の曲がインターネット限定で配信されていることが紹介されていた。

2006年はこの流れが徐々に具体的なサービスとして見えていく年になるのではないかと予想している。今のTV放送の外延としてインターネット放送が使われるという面では、あとはインフラの問題であったり成功するサービスの登場の有無になるのだろう。ビジネスとしてはそこが大変なのだけど、方向性は見え始めている。

さて、このブログでは今後もインターネット放送に関するその次のネタを探そうと思う。これからは単なる映像配信についてだけではなく、映像も交えたメディア・コミュニケーションの将来について考えていきたい。インターネットにより、配信チャンネルを独占することで情報をねじ曲げることはやりにくくなった。これは偉大な進歩であるが、その次を考える時が来ている。

玉石混淆、様々な意見が交錯する多メディア時代において、今時点では「嘘を嘘であると暴けるメディア」というものが今後の鍵になるのではないかと考えている。「真実を伝えるメディア」というどうも嘘くさい言葉があるが、真実を定義することは難しくても、嘘を否定することは可能だ。

このように考え始めたきっかけは05年末にあった建築偽装事件と韓国のES細胞捏造事件である。建築偽装事件はそれ自体の嘘もそうだが、その後ブログにおいてもブログにイーホームズ藤田氏が寄稿した問題について元ブログ) に見られるような何を信じればいいのか分からない状況になったり、ES細胞に関しては韓国のブログ界で変な興奮状態になったという話も、現在のブログ形式の情報交換の限界を示していると感じている。

「嘘を嘘であると暴く」というのはジャーナリズムの本質であり、表現をするメディアには関係がないという見方もあるだろうが、メディアが持つ特性が影響してくるのではないかと睨んでいる(「メディアがメッセージである」というマクルーハン的に)。直感的に映像メディアというのがここでなにか役割を果たすのではないかと感じている。スクープ映像ではなく、コミュニケーションのような形なのかなぁと思ってみた入りしているが、まだ全く根拠はない。

まとまりのない文章になったけど、今年もぼつぼつ書いていきますので、よろしくお願いします。

投稿者 hyotan : 18:10 | コメント (0) | トラックバック