何事かと思ったら、とあるところから「先日殺害された日本人の映像、持ってない?」といわれてやっとわかった。電車のつり革広告にも出始めているが、殺害シーンがネットの上で流れているようだ。私はエロはともかくグロは興味ないので、探す気すら起こらないが、こういうマスコミには流れない映像はよほど興味を集めるものらしい。
]]>ブッシュが勝利した原因はいろいろあるだろう。主たる要因ではないだろうが、保守派とリベラル派の分断は作用していると思う。単純にいって、保守派(ブッシュ派)がみるTV・新聞・ブログとリベラル派(ケリー派)がみるTV・新聞・ブログの分離が進み、議論の相互乗り入れが進まない。その結果としてネガティブキャンペーンや感情論に重きが置かれる傾向が続いているということである。
インターネットやブログの登場は様々な意見の発表・交換を容易にし、多様性を促進するはずだった。それはある面実現したが、逆に各意見のタコツボ化を推進している点が顕著になってきていると思う。社会的生物である人間は群れる。ただし、群れが一定の規模であればそこに安住し、むしろ敵が存在することで群れの中の安定性に依存するようになる。その結果、外界があることを知りつつ、遮断するようになってきているのではないかと思う。
このような素地があると、プロパガンダやインフォマーシャルのようなものに容易に影響されるようになる。特にそれらには強力なスポンサーが付くために無料で提供されるだろうから、影響力は増すだろう。
どうすればタコツボ化する人々を外に引きずり出せるかが次のメディアにとって重要になるはずだ。一つの方向性として、社会の最大公約数を示す公共的な放送の役割を考えている。これは国営放送という意味でなく、放送法が規定するような中立・平等性を(例え偽善と言われながらも)維持しようとするメディアがより重要な役割を持つようになるのではないかということだ。
今までは強大な権力であるTV放送を打破することばかり考えてきたが、各番組視聴率の確実な低下傾向や、ブログなどのお陰でマスコミの報道=世論という図式がどんどん崩れていくさまを見るにつけ、世論形成における既存マスコミ役割を再評価して再定義しなければならないと思うようになってきた。
]]>日本有数の制作会社テレビマンユニオンを立ち上げた著者による、ドキュメンタリーのやらせの問題について。単にやらせがいい悪いというのではなく、具体的な事例を基に自ら制作してきた人のみが語りえる自問自答が繰り返される。これは、工夫なのか、演出なのか、再現なのか、誇張なのか、歪曲なのか、捏造なのか?
予算も時間も制約されているなかで人々の印象に残るものを作らなければならない制作現場と、純朴な(=何も考えていない)一般視聴者の間に演出・やらせに関する感覚のギャップがあることをまず認める。その上で、何らかの演出がなされない映像はないことを、ドキュメンタリーの歴史を追って例証する。例えば、ドキュメンタリーとは、その生まれの定義によればreconstruction(再現)を持って事実を記録するモノという定義が1948年に世界ドキュメンタリー映画連名によってなされており、つまり再現(演技)による映像もドキュメンタリーとして(少なくとも作り手側からは)認められ広く用いられていた、など。
作り手側の視点からの論旨が中心であるため、見る側である自分とのずれは感じるが、それが新鮮であった。そしてこのずれを互いに認識して初めて、ありのままの事実を伝えるとはどういうことか?と論じることができる。
私自身、最近マイケルムーアの作品をいくつか見て、ドキュメンタリーとプロパガンダについて思いを巡らせてきた。正直、このような(私の定義では)プロパガンダ作品がパルムドールをなぜ取れたのかは腑に落ちなかったが、この本を読んで少し納得ができた。
真実を伝えるとはどういうことか?ということを観念論ではなく現場の人間の視点から考えさせられる。著者の意見に全面的に賛成できるものではないが、今後増えるであろう事実に基づいた映像メディア(ドキュメンタリーのみならず、バラエティ、リアリティショーなどを含む)について考えさせられるきっかけとなる本である。
]]>こちらのblogでは目的とする楽曲に到達するまでのコストがかかるとか、どこかで聞いた音楽をその場で購入したりできるような「機会」に着目すればよいのではないかといった議論がなされている。この視点は面白いが、数年前からこういった商品は出ては消えている(確かソニーとかから)。音楽端末化された携帯も3年くらい前からあるがなかなか成功していない。まあ携帯はまだ通信回線が細く高いため、複合音楽端末化するメリットが少ないことは事実だが。
私は単純に、音楽を楽しむ最大層はお金のない若年層であり、一曲99セントであってもフリーなものの代替があるのであればそちらに流れるのが原因だと思っている。iTunesがここまでヒットしたのはiPodの格好がいいからだと思う。実際、iTunesで提供される楽曲を違法にシェアする方法などもかなり知られているという話を米国で聞いた(私自身はiPodすら持っていないのでこのあたり無知)。若者は金はないが時間はあるからP2Pで探す手間は苦にならないだろう。
私は音楽は好きだが今の音楽はあまり聞かない。そのためいわゆる音楽業界の出来事には疎いのでこれ以上深入りはできない。ただ、iTunesなどはこの値段ではたいして儲からないようだし、そもそもこの値段だって、AppleがiTunesをはじめるにあたって音楽会社としたdealというのがほげほげということを聞いていたので、ここでマーケットの拡大が止まってしまと、配信側にとってもユーザーにとっても不幸な結末を迎えることになってしまいそうだ。
3月にNYの電話会社で話したときも彼らはiTunesよりは着うたのほうが将来性があるし興味があるといっていたし、単に音楽を聴く・聴かせるのとは違った付加価値が必要になっているのだと思う。これは音楽配信の方法論の問題ではなくて、現代の「消費(されることを目的とした)音楽」が持つ限界なのではないだろうか
]]>今後、ネット上の映像が増えて来たときに、それをどうやって人に知らしめるかが大きな問題になる。テキストでは膨大なメールであったわけだし、最近ではメールと同じようなインターフェースで、もうちょっとpullっぽく閲覧できるRSSがだいぶ使われるようになってきている(といってもまだまだ情報ジャンキーだけだろうが)。
テキストの場合は、ざっと見て瞬時に要不要がある程度判断できるが、映像の場合はそれが難しい。メタデータやThumbnailによるインデキシングなどが重要だが、なかなか研究の範囲を出ない。実用例としてはアダルトサイトがある。キーワードが定義してあってサーチできたり、ハイライトシーンの静止画像が何枚ものっていたりする(例えばhttp://www.eroxjapanz.com/ など)。
RSSはこのメタデータに属するわけで、そのうちプロモーション映像などがRSSのような形式で配布されるのだろう。将来の放送局とは、RSSを高い視聴率を持つ何らかのルート(P2Pとか)にのせて配布できるような場を持っているところだと考えている。本編はそのプロモーションを見た後で欲しい人が有料で入手するなど。
さて、その場をどうやって構築するか。e-Commerceを含めて、インターネット業界の共通の悩みだが、映像業界もその例に漏れないはずだ。
]]>コメンテーターの話として、アルカイダのメッセージは過激だが分かりやすいために人々に受け入れられやすい、アメリカのプロパガンダ放送も分かりやすいメッセージによる影響を目指している、人々は映像メディアのメッセージに影響されやすいといった内容だった。
識字率の低い社会では、映像が唯一の情報源となることも少なくないようだ。教育水準が低ければ、単純な映像メッセージに影響されてしまう人が多いことも考えられる。しかし、もっと根底に目を向けなければならない。
これが視聴率20%のTV番組であればメディアの影響力もある程度納得できるが、この情報が溢れている時代において、普通の人がたいして見ることもなさそうな内容の番組の力だけで人々をテロに駆り立てたり、親米派にしたりすることができるとは思えない。イランの社会研究の専門家の友人によれば、イスラム社会に行くたびに、欧米との圧倒的な経済格差、またそれがいつまで経っても改善しない、若者の失業・低賃金などが社会に絶望感を漂わせているという。別の新聞記事で、貧困にあえぐアフリカにおいても娯楽として衛星放送がそれなりに入っているらしいが、その結果、今まで知らなかった豊かな世界があることを知り、いつまで経っても改善しない現在の状況に絶望感を感じる人が少なくないということであった。
特にインターネットは共感を増幅するメディアである。量による洗脳を目指す物とは違う。テロに共感するのであれば、その根底の改善が必要であり、メディアのやりとりだけを制約する、例えばインターネットによるアルカイダの映像を全て検閲するといった方法を考えるのは全く解決にならないだろう。
]]>もちろん、光はTVのポータルサイトにという構想も興味深いが、これは放送局との話し合いが付いて本当にサービスが始まることになった時点でコメントしたい。実現できたら、これはすごいことだと思う。
]]>インターネット放送というイノベーションを実現するためには、現行のTVからの移行を狙っても保守的な高年齢層が対象となるだけに難しいと思うようになってきた。特にTVのように「暇つぶし・ながら」ではなく、能動的に見る映像を提供するメディアとなりそうなので、余計にそう思う。例えば、若年層はメールやチャット、オークションといった、少し距離感のあるコミュニケーションに多くの時間を割いていて、最大(時間的に最長)の娯楽になっている。ゲームですら若年層のエンタテインメントでは少しずつではあるがなくなりつつある。
インターネット放送において、エンタテインメントを提供するのであれば、TVが狙っているものとは違ったコンテンツにアプローチしないとならないだろう。
]]>個人的には、Bムービーの語源(B級とは違う)であるとか、ゴレンジャーやガンダムはなぜ赤や黄色の原色を使っているのか、若大将シリーズで若大将の職の変遷具合など、細かい点の記述が研究者らしく面白かった。この手の本をあまり読んだことのない人にとっては、映像業界の話が要領よくまとまっているよい解説書になるのではないかと思う。
]]>Wired News マイクロソフト社の「地上波そっくりラジオ」は著作権法違反かより。
マイクロソフトが地域ラジオ局の曲のセレクションをまねたインターネットラジオ局を提供し始めたとのこと。クローンラジオ局は、CMが少なく、DJのおしゃべりがなく、同じ曲がかかる回数が少ないとのこと。問題は曲のセレクションというか番組編成が著作物に該当するかである。いつもは著作権侵害を訴える側のマイクロソフトがこのようなまねっこサービスを始めたとのことでニュースネタになっている。
美術展での絵画の並べ方にはキュレーターのセンスが要求されるし、オンライン店舗に置いては物品の並べ方にはノウハウと意志がある。広い意味では、思想感情を創作的に表現した物に入ってもおかしくないとは思う。しかし模倣は創作の基礎であるし、ここまで法律で縛るのは疑問だ。まあ著作権法というものは伸び盛りの子供には教えてはならない法律なのだろう。創造力の枯れてしまった金金金の大人の世界の法律である。
]]>しかし日経コミュニケーション2004.8.1号によれば、韓国では 1xEV-DOを利用して動画コンテンツを見ることが市民権を得ているようである。Juneという動画コンテンツサービスは265万ユーザー、FimmというCDMA2000上のサービスは340万ユーザーでそのうち動画コンテンツの売り上げが40%を占めるという。
同記事に紹介されている、今後は衛星から携帯への放送だという主張は賛成しかねるが(日本で計画されているのもそうだが、ギャップフィラーをたくさん置かないといけないのが大問題)、携帯で動画を見るようになればモバイル映像視聴の文化ができてくるわけで、マーケット・コンテンツの両方の進化が期待できる。
]]>私自身、Michael Mooreの他の作品を恥ずかしながらみたことなかったので、とりあえず Bowling for ColumnbineのDVDを注文してしまった。Amazon.comで買ったのだが、ドキュメンタリーのベストセラーはMichael Mooreの作品で占められていた。
こういうのを機会に、より硬派のジャーナリズムも復権して欲しいものだ。今までの大規模商業配給にはのらなくても、低コストの配給ルートが確立できれば硬派の番組もいいものであれば確実に採算が取れるようになると考えている。
ネタ元
http://www.boingboing.net/2004/07/04/moore_on_filesharing.html
さらに、過去のプレスリリースによれば、イギリスのブロードバンドにおけるBBCの役割は良いコンテンツを提供するだけでなく、人々の日常生活を変革していくようなサービスを提供することであるといっている。
ぜひNHKも見習って欲しい。先例はできたし、良いコンテンツは持っているし、NHKアーカイブスという形でインフラは既にある。さらにWinnyのような映像を公共財として遊ぶ下地も存在する。このようなタネから面白いコンテンツが公共財のような形でできてくれば、既得利権を維持するだけの著作権制度は無実化していくだろう(=Mickey Mouse の著作権期間延長の話を念頭にいっている)。よりクリエーターおよび消費者のためになる形に進化することを切に願っている。
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